「その人の本質に向かっていく」
写真家・藤代冥砂の「ポートレイトワークショップ in 那覇」リポート
ポートレイト撮影は被写体から笑顔を奪うのではなく、与えること―。撮影の技術や機材の知識だけでなく、被写体との向き合い方や撮影者自身の心構えまで、人物撮影の本質に迫る、写真家・藤代冥砂氏によるポートレイト撮影ワークショップ「The Portraiter」が2024年10月27日、沖縄県那覇市で開催されました。沖縄県は全国47都道府県ツアーの2カ所目。藤代氏の冒頭の言葉の真意とは。沖縄でのワークショップの様子を、現地コーディネーターがリポートします。
撮影者は「一つの人格」であれ
「同じ人が歯を磨き、料理をし、写真を撮る。どれも一つの人格、一人のペルソナとしてやっています」
ワークショップ冒頭で藤代氏が強調したのは、撮影者としての「人格」についてでした。仕事用の自分、日常生活の自分、撮影の際の自分など複数の人格を使い分けることは、一見効率的に思えるかもしれません。しかし、そうすることで最終的にはつじつまが合わなくなり、撮影者自身が疲弊してしまうと指摘します。
「役者体質の人は別かもしれませんが、多くの人にとって、人格はやはり一つの方が楽だと思います」。瞬間的に高いテンションのカメラマンを演じることはできても、それは長続きしない。むしろ、仕事と日常生活がシームレスにつながっている状態こそが、持続可能な撮影スタイルだと藤代氏は説明します。
落ち着きは被写体に伝播する
次に重要なポイントとして挙げたのは「撮影者自身が落ち着いていること」です。
「被写体の方は、カメラマンの状態をすごく感じ取っています」と藤代氏。不機嫌な人や精神的に不安定な状態の人を撮影する際、カメラマンが落ち着いていられることが重要だと強調します。
「被写体の方に落ち着いてもらおうと努力して、こちらがあたふたすると、逆に落ち着かなくなります。撮影者側が『大丈夫』という感じでどっしりしていると、その雰囲気が伝わって相手も落ち着いてきます」
落ち着くための具体的な方法として、藤代氏が勧めたのが深呼吸。緊張しているときは、撮影前に、相手に気づかれないように静かに深呼吸することを勧めました。
「普通であること」の価値
「カメラマンは芸術家として捉えられることもありますが、平凡であることは、観察者としてはすごく先鋭的な武器になります」。これは藤代氏が特に強調した点の一つです。
極端な個性や独特の視点を持つアーティストは、時として物の見方が偏ってしまい、さまざまな被写体に対応しづらくなることがある。それに対して「普通であること(Be Normal)」は、むしろ多様な被写体と向き合う上で重要な資質になるというのです。
シャッターを押す瞬間の真意
「シャッターを押すことは、その人への肯定のサインです」と藤代氏は語ります。英語の「shooting(撮影)」という言葉が「射撃」「狩猟」の意味も持つことから、写真撮影は時として「奪う」行為として捉えられがちです。しかし藤代氏は、それとは逆の「与える」という発想を持っています。
「この人(被写体)が輝くために、自分に何ができるだろう」という視点で撮影に臨むことで、被写体との関係性も変わってくると言います。そういう姿勢で撮っていくと、シャッター音は、被写体にとって「今の自分が認められた」という喜びをもたらす合図へと変わっていきます。
「本質」への旅
ワークショップの後半では、人物撮影の究極的な目標について語られました。
「人物撮影の一番大切なところは、その人の中心に向かっていくことです」と藤代氏は説明します。ここでいう「中心」とは、その人の本質を指します。ポーズや光の当て方といった技術的な要素を整えることはもちろん重要ですが、それだけでは終わりではありません。その先にある「その人の本質に近づいていく」というプロセスこそが、人物撮影の醍醐味だと語ります。
参加者から「その本質はいつ見えるのですか?」という質問が投げかけられると、藤代氏は少し間をおいて、こう答えました。
「本質は決して見えないんですよ。大切なのは、見えない本質に向かって一歩一歩近づいていこうとする姿勢そのものだと思います」
トレーニングと資質
「被写体の本質に近付いていくスキルは先天的な才能なのか、トレーニングで身につくものなのか」
受講者が根本的な問いを投げかけます。それに対し、藤代氏は穏やかな口調で回答を紡いでいきます。基本的にはトレーニングである程度身につくと考えているものの、人との相性という変数も無視できないと説明。自身の経験として、神社やお寺で一人で過ごす時間が多かったことが「ピュアな状態」を保つトレーニングになっていたのではないかと振り返ります。
ただし、必ずしも同じような経験が必要というわけではありません。丁寧に深呼吸をするだけでも、同様の効果が得られる可能性があると示唆しています。
技術を超えて
ライティングやポーズの指導など、技術的な要素は確かに重要です。それらは時間と経験を重ねることで必ず上達していくと藤代氏は言います。しかし、同じレベルの技術を持つ写真家同士で差が出るのは、結局のところメンタル面なのだと指摘します。
「自分をピュアな状態に保てているか」「その人の本質に向かおうとしているか」。そこに写真家としての真価が問われるというのです。
このワークショップは、単なる撮影テクニックの伝授にとどまらず、人物撮影の本質的な価値や、撮影者自身の在り方まで深く掘り下げる機会となりました。参加者たちは、限られた時間の中で渾身の一枚を撮るという実践的な撮影も体験。藤代氏は「これも一つの経験として、今後に活かしていただければ」と締めくくりました。
写真を撮ることは、単に外見を切り取ることではありません。その人の本質に向かって一歩一歩近づいていく営み。それは撮影者自身の内面も問われる、深い対話のプロセスなのかもしれません。受講者にとって、藤代氏のワークショップは、そんな気づきと学びに満ちた体験となったようです。
*この記事で紹介した心構えの内容は一例です。藤代氏と各地の参加者の対話を通し、会場ごとに新たな視点が生まれ、その考え方を一緒に掘り下げていく。そんなワークショップとなっています。
文と写真:当銘寿夫(那覇コーディネーター)